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院長 伊藤 博之(いとう ひろゆき)

Hiroyuki Ito

『 イチロー伝 』

 2025年の米国野球殿堂表彰が1月21日、米ニューヨーク州クーパーズタウンで発表され、メジャー19年間で通算3089安打のイチロー(51歳、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、資格1年目で、日本人としてだけでなくアジア人としても初めて選出されました。得票率は99.7%で、19年のマリアーノ・リベラ(ヤンキース)以来の史上2人目の満票には1票及びませんでした。同日、マリナーズは現役時代の背番号「51」を永久欠番にすると発表。数々の偉業を遂げた「日本の至宝」は、米国でも本物のレジェンドとなりました。

 イチローは2001年にマリナーズで米大リーグ(MLB)にデビュー。初年度に打率3割5分の数字を残してア・リーグ新人王,MVP (最優秀選手)に輝くと、いずれも10年連続の200本安打,ゴールドグラブ賞獲得,オールスターゲーム選出などの活躍を見せ、2004年には、1920年にジョージ・シスラー内野手がマークした年間257安打を84年ぶりに更新する262安打のMLB歴代最多記録をマークしました。その記録は20年以上経った今も破られていません。

 2019年までプレーしてMLB通算3089安打を記録し、生涯打率は3割1分1厘。MLBで10年以上プレーし、引退から5年が経過したため、殿堂入りの条件が満たされました。投票された394票のうち393票を獲得し、満票にはなりませんでしたが99.7%という驚異的な得票率で選出されました。

 今回の殿堂入りが自身と日本にとってどのような意味を持つかと聞かれたイチローは、デビュー当時を振り返り「2001年僕が初めてMLBに挑戦した年に、おそらく地球上の誰も想像はできなかったと思うんですよね。MLBでプレーすることすらできるのかどうかという議論がたくさんあったので。いいことだけではありませんでした。苦しいこともたくさんありましたけど、最終的にここに一歩ずつ近づいてきた。今日、この日を迎えられたことは言葉では言い表せないほどの気持ちです。個人としても日本の選手として初めてということでも、大変光栄なことだと思います」と述べました。

 その後のテレビ出演では、

――殿堂入りを聞いた時の心境は

 15分過ぎても電話がなかったので、ひょっとしてないのかもしれないと。不安の方が途中強くなって、すごくホッとしました。これからいろんなことを思い返して、いろんな感情が出てくると思います。

――誰に感謝の言葉を

 挙げればキリがないですけど、まずは妻です。ずっといっしょに戦ってくれて、支えてくれた存在。たくさんの出会いもありました。最も大きな影響を受けたのは(オリックスの)仰木監督だと思います。あの人の存在がなければ、おそらく片仮名のイチローにもならなかったし、人にこれだけ知ってもらうこともなかったと思う。そもそも野球という存在がなければ僕はいったい何だったろうと、何者かになれたんだろうかと考えます。だから、人との出会いと、あとは少しの運ですかね。努力することは当然として、この2つが大きく人生には影響するんだなと改めて感じています。

――今日はどのように祝うか

 お祝いする時間はないと思います(笑い)。明日も早いこともあって。いつも通り過ごすんじゃないですか。家で妻と乾杯するぐらいだと思います。特別なことはないと思います。

 そもそも米国野球殿堂(Baseball Hall of Fame)とは、米大リーグを10年以上経験し、現役引退後5年を経過した者が殿堂入りの対象となります。原則として全米野球記者協会に10年以上在籍している記者の投票によって決められます。第1回選考は1936年でベーブ・ルース、タイ・カップら5人が殿堂入りしました。事前に候補者は発表され、記者投票で75%以上の投票数が必要です。選出には10年の期間制限が設けられています。今回で351人が殿堂入りし、内訳は選手278人、監督23人、審判10人、球界功労者40人です。

 日本人では2013年に野茂英雄氏、2017年に松井秀喜氏がノミネートされましたが、殿堂入りはなりませんでした。殿堂博物館はニューヨークの北西、野球発祥の地クーパーズタウンにあります。

 因みに、資格初年度での米国野球殿堂入りは351人中62人だけです。

 その後のインタビューでは、得票率が100%でなかったことにもふれ、

 「テレビを通じて99.7%って聞いたんですよ。100じゃなかったかぁ…と、その時は残念だなと思いました。ですけどただそれが何票なのかわからなくて、しばらくして(満票まであと)1票でしたと聞きました。その時に、『完璧だ』と思ったんですよ。2、3票だと悔しい。

 1票足りないというのは、すごく良かったと思います。しかもジーターと一緒。数字的にはの話なんですけど。足りないものを、これって補いようがないんですけれど、努力とかそうゆうことじゃないからね。ですけど、いろんなことが足りない、人って。それを自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよ。やっぱ不完全はであるというのはいいなって。生きていく上で、不完全だから進もうとできるわけで。そういうことを改めて考えさせられるというか、そこに向き合えるというのはよかったと思います」

 さらに完璧だという理由をもう一つあげ、

「満票だったらおめでとう、よかったねで終わってしまう。その時にアメリカでどんな声が上がるかと想像したら『ジーターでも満票でないのになんでイチローが満票なの?』は必ず出ます。そういう意味でも1票は完璧でした」

 イチローは米国殿堂入りの会見では、投票しなかった記者にもふれて、

「どうやら一人だけ僕に投票してくれなかった方がいるようですが、ぜひ自宅に招待して一緒にお酒でも飲みたいと思いますので、名乗り出てシアトルまでお越し下さい」と。

――奥様からはどんな声が

「(殿堂入りの通達時は)妻は一緒のスペースにいたんですね。僕に似ているところがあって普段感情が出さなくて、はっちゃけたりとか絶対にしない。でも、思わず拍手してくれて『おめでとう』と言ってくれた。珍しいなと。あんな感じで感情を出すんだっていうシーンが今までなかったので。それはすごくうれしかったです。あとはもう普段通り乾杯しましたね」。

 マリナーズは殿堂入りしたその日に、イチローが現役時代につけていた背番号「51」を永久欠番にすると発表しました。背番号51はイチローが2001年にマリナーズに移籍した際、ランディ・ジョンソン氏から譲られたものです。マリナーズで51番はイチローで4人目。前任で1998年までつけていたジョンソン氏は通算303勝の大投手。208cmの長身から「ビッグ・ユニット」の愛称で知られ、2015年には殿堂に同じく一発当選しています。ジョンソン氏は当時、イチローから手紙が届いたと明かしました。「素敵な手紙をもらったよ。私の背番号を引き継ぐというので敬意を払ってくれたんだ。僕がつけていいのか」と。返事は「Yes!Go ahead(どうぞ)だった」と振り返った。

 イチローは当時を振り返り「付ける時に、特別な番号だと認識していました。シアトルの街にとっても、球団にもファンにとっても。この番号を汚してはいけない。51番をつけた選手が、ただの普通の選手だったら、ランディ・ジョンソンに申し訳が立たない。そうゆう覚悟がすごくあった」と明かしました。

 特に「深く記憶に残っている」として2001年球宴で内野安打を放った対戦を挙げました。51番の後継者が殿堂入りを果たし、ジョンソン氏は「十分にその価値がある立派な、尊敬に値するプレイヤーだ」と改めて評しました。

 マリナーズでは通算630本塁打を打ったケン・グリフィーの「24」、最優秀指名打者に名を残すエドガー・マルチネスの「11」に次いで3人目。全球団共通であるジャッキー・ロビンソンの「42」を合わせると4つ目となります。シアトルで会見に臨んだイチローは「サインするときに51番がずっと使えるというのは、めちゃくちゃ嬉しいですね。今は51歳なので、このタイミングではなかなか特別です」と喜びました。

 イチローの日本人初の米国野球殿堂入りに、同氏の父、鈴木宣之さん(82)が恩人たちに感謝しました。22日、愛知県豊山町の自宅前で会見。史上2人目の満票での選出を逃しましたが、有資格初年度での選出に「そんな完全な人間がおるのかな、という気持ちでおりましたので、どこか欠けて丁度いい。気が楽になりました」と手放しで喜びました。この親にしてこの子あり。❝チチロー❞と呼ばれる所以です。

 オリックス時代の若き日のイチローは、初めて見る振り子打法でヒットを量産し、≪イチカジ≫なる着こなしでも名を馳せました。でも、インタビューの応対は決して上手とは言えず、少し武骨なイメージがありました。日米野球では確か「excuse ユウ」と答えていた記憶があります。 

 そのイチローが2001年に海を渡り数々の伝説を作り、2019年の引退から5年が経過した今もトレーニングを欠かさず、シーズン中はマリナーズの本拠地で背番号「51」のユニホーム姿で若い選手と一緒に汗を流す。オフの期間には、日本の高校球児を指導し、女子野球の普及にも情熱を注ぐ。

――どこまで自分ができるのか想像がついているのか

 どこにゴールがあるか分からない。明日つぶれるかもしれないし、10年後かもしれない。その先かもしれない。今やってることは、その日の限界を迎えること。今、全力で動けないですけど、この状態で全力を目指しています。繰り返していくことで、アスリートの体がどうなっていくのか見てみたい。興味がすごく強い。野球選手にヒントになることがあるんじゃないかと期待しながら、今取り組んでいるということです。

 最後に、こうして心技体とも成長・熟成されたイチローを見ていると、ある人のある言葉を思い出します。

それは、読売巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄氏がおっしゃられた

 『野球というスポーツは 人生そのものである』と。(合掌)

 米国野球殿堂入りの表彰式典は、7月27日、クーパーズタウンで行われます。

※個人的にですが、米国野球殿堂・球界功労者部門で、イチ・メーターでおなじみの エイミー・フランツさんに一票!

2025年 7月

いとう外科内科クリニック

院長 伊藤博之