いとう外科内科クリニック *
* home *
 
おしらせ
 
ごあいさつ
 
診療案内
 
施設紹介
 
案内図
 
尾上情報
 
ギャラリー
 
mailto

 

 

 

 

この上半期で印象深かったニュースと言えば・・・
やはり、コロナですよね。
熊本日日新聞からの引用です。

『コロナ感染「死を覚悟」熊本市の50代飲食店長 店名公表決断した思いは』

 熊本県内では6月21日現在、47人が新型コロナウィルスに感染し、3人が命を落とした。44人は回復したが、重症化して死の淵をさまよった人もいる。熊本市の飲食店「馬料理二代目天國」の男性店長もその一人。「死を覚悟した」−。県内の感染者として熊日の取材に初めて答え、退院するまでの闘病生活や、店名公表に踏み切った理由、容赦ない差別的な言動に対する思いなどを語った。

 だるさを少し感じたのが3月25日の夜だった。葛根湯と市販の風邪薬を飲んで寝たが、薬が切れたら37.2度の熱が出た。咳が少々と全身の節々も痛くなった。酒も飲まないし、たばこも吸わない。若いころから体力には自信があり、風邪をひいたこともないので『もしかしてコロナかも』と思った。
 27日朝、かかりつけの病院に行き、インフルエンザ検査をしたが陰性。解熱剤を服用し熱は下がった。仕事柄、手洗いは一日何度もして、人一倍神経を使っていたので、どこで感染したのか見当がつかなかった。
 3月28日のメモ。「15時 味覚、嗅覚鈍る 18時 激しい悪寒」
 ポンカンを手でむいていて、臭いが全くしない。家族に聞いたら『するよ』って言われて。食べても甘いとも、酸っぱいとも感じない。
『コロナだ。間違いない』と思った。
 男性店長が熱発した当時、国は風邪の症状や37.5度以上の熱が4日以上続く場合に、保健所の「帰国者・接触者センター」へ相談するように呼び掛けていた。
 3月28日は本当にきつかったけど、25日の発熱から4日後を強く意識した。『病院に迷惑をかけてはいけない』と、29日まで受診するのを我慢した。
 3月29日に、日曜の当直医が診察し、保健所へ「コロナの疑いがある」と連絡した。
 病院の駐車場で1時間待ち、車内で保健所の人から検体を取られた。コロナと確信していたので、他人に移さないように早く入院したかった。
 陽性の電話が自宅にあった後、29日午後8時ごろ、防御服姿の人たちがワゴン車で迎えに来た。
 病院には、誰とも接触しないように裏から入った。先生の説明を受け、アビガン(新型インフルエンザ治療薬)や人工呼吸器、エクモ(人工心肺装置)を使う承諾書にサインした。『助かるなら、何でもしてほしい』という思いだった。
 アビガンは4回飲んだ。最初は入院2日目の夜。飲み込むのに苦労する量だけど、一気に9錠。2回目は翌朝に同じく9錠。3、4回目は次の日で朝晩に4錠ずつだった。熱は下がったが、容態は悪くなっていったので薬の効果はよく分からない。
 4月4日、軽症から中等症へ。肺のX線写真は真っ白な範囲が広がっていた。
 急にウーッと苦しくなるのではなく、じわじわと呼吸が浅くなって、自分で息を吸い込めない。鼻から酸素を吸入してもらっていたが、4日に人工呼吸器を着けた。意識はもうろうとし、『半分は夢、もう半分は現実』みたいな感じだった。店長はLINEで、3人の子供たちへ思いを伝えた。「お父さんは、これで死ぬだろう。悔いのないように、しっかりと生きなさい」と。
 4月5日に、重症に。集中治療室に移った。人工呼吸器に点滴、心電図の装着など体は完全に固定され、約2週間を過ごした。
 集中治療室は何重にも扉があり、医療ドラマで見るような厳重さで、天井には監視カメラも付いていた。入室から1週間後に意識が戻った時、本当にきつかったので、『このまま死ぬんだろうな』と死を覚悟した。
 看護師は24時間交代で対応した。
 床ずれを防ぐため体の位置を変えてくれたり、痰を10分に1回ぐらい吸引してくれたり。厳重に防護服を着て、汗だくでやってくれた。疲弊していただろうに、本当に感謝しかない。
 容体は徐々に良くなり、元の病室へ。リハビリも始まった。
 約2週間ぶりに飲んだ水が人生最高のおいしさだった。病室の水道水だけど、涙が出た。ずっと点滴だけだったので13キロも痩せた。鏡を見ると、あばら骨が浮き出て、足は皮だけ。愕然とした。座ろうとしても体が揺れて怖い。座るのに3日、歩行器につかまって立つのに7日、歩行器で歩くのに10日かかった。
 退院に必要なPCR検査は、三度目の正直で5月9、12日に陰性となり、45日間の入院生活が終わった。
 退院が決まった時は人生で一番うれしい瞬間だった。
 『病院の威信をかけて治す』という言葉をかけてもらった先生方のことは一生忘れない。

「馬料理二代目天國」の店長は、自身の新型コロナウィルス感染確認後、店名を公表するに当たり、差別や偏見、経営への影響に不安を覚えた。だが、そこで浮かんだのは、これまで店を盛り立ててくれた全国の顧客の顔だった。「ここから感染を拡げてはいけない」。家族と相談し、公表に踏み切った。
 「できれば店名を公表してほしい」。3月29日の感染判明後、市役所から頼まれた。店長には3人の子供がいる。東京にいる会社員の長女(25)と大学生の次女(21)、同居する中学生の長男(13)。「公表すれば、子供たちが、特に地元にいる長男が、周囲から傷つくようなことを何か言われるかもしれない」と不安がよぎった。
 それを払拭してくれたのは当の子供たちだった。「お客さんのため、感染拡大を防ぐため、店名を言うべきだよ」長女と次女の言葉が背中を押してくれた。 身内には当初、「公表すれば、客が来なくなる可能性がある」という慎重な意見もあったが、「店名を伏せても、どこからか話は拡がる。正直に公表しよう」と心を決めた。
 3月31日の公表後、入院中で店長が不在だった店の電話は一日中鳴りっぱなしだった。「よく言ってくれた」「再開したら絶対行くよ」。電話の8割は目頭が熱くなるような励ましの声、残りの2割は「周りにうつすな」「県外客を入れるからだ」といった差別的な内容だった。そんな電話にも店として、感染予防に最善を尽くしていたことを伝えた上で謝罪した。
 感染症指定医療機関に入院中、看護師がふと、「自分がどこで働いているかは外で言わない」とこぼした。献身的に世話をしてくれる人が見せた涙。「人助けをしている医療従事者がなぜ、差別に対象になるのか」とショックを受けた。

 店長は、肺の機能が低下し、すぐに息が切れ5分歩くのがやっと。寝ても2時間ほどで目が覚めてしまう。「呼吸ができなかった時があるから、そのまま死んでしまうんじゃないかという気がして・・・。それでも毎朝呼吸して、ああ生きている、と安心するんです」。
 店長、そして妻、母、従業員の4人が感染し、3月末から営業を休止していた馬料理二代目天國は6月12日に営業を再開した。店舗の消毒には100万近い費用をつぎ込んだ。常連客の予約も入り始め、再開後、苦情の電話は一本もない。 死を覚悟した入院生活。いわれのない差別、多くの人からの激励。様々な経験をした店長は自らに言い聞かせるように言う。「未知の感染症に家族で立ち向かい、絆はより深まった。これからも、どんな困難にも負けることはないと思う」と。
 いろいろな思いが詰まった、珠玉の記事と思います。

 その新型コロナウィルス感染症で、志村けんさんがお亡くなりになりました。 志村さんのエピソードを一つ。
 ある取材の現場で、志村さんへ「この仕事をやってなかったら何やってると思いますか?」という質問があったといいます。志村さんの答えはこうでした『そんな根性じゃやってません』って。 かっこいいです。
「 殿〜 園長〜〜 わさおにも また逢えましたか? 」(合掌)            

 

 2020年7月



              いとう外科内科クリニック
                       伊藤博之